信じる気持ちが生んだ逆転のカタルシス -FC東京戦の後半アディショナルタイム決勝弾に見たもの-

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私は誰かの人生にとってのアデミウソンになりたい。同時に自分の人生に宮本恒靖監督(救世主)が現れて欲しい。スタジアムに行くたびに思う。サッカーは人生の縮図だと。ゴールに涙したのはいつ以来だろう。優勝にも匹敵するような興奮があのゴールには確かにあった。ピッチに感情移入をし過ぎているのかもしれない。ここ数年、サッカーに自分を重ね過ぎる癖が抜けない。

アデミウソンが決めた後半アディショナルタイムの決勝点からは「諦めずに戦い続ける勇気」の重要性を知った。高や一美の抜擢・活躍からは「評価されない時期も努力を続ける重要性」を学んだ。苦難を乗り越えたシチュエーションに共感を覚えてしまうのは、自分の人生が上手くいっていないからだろうか。仮にそうだとしても、難しい状況だからこそピッチから見えることがあるのも事実。

私はアデミウソンの能力を疑ったことはないし、高や一美が持つポテンシャルも信じている。サポーターの信じる気持ち、応援する声が彼らの力を覚醒させる。

決勝ゴール直後はスタジアム中の人間が雄叫びをあげた

86分に失点した際「もうダメだ……」とは思わなかった。直近で難しい結果となったジュビロ磐田戦や名古屋グランパス戦とは違う雰囲気がスタジアムにはあったからだ。「まだやれる」という想いが自身に激励の声を出させた。きっと皆も同じ気持ちだったのだろう。そして、生まれた後半アディショナルタイムの奇跡。あのゴールは証明した。アデミウソンのストライカーとしての能力の高さを。そして、サポーターの信じる気持ちの価値を。こんなに最高なカタルシスがあるだろうか。どんな状況からでも逆転はできるのだ。

試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、選手達はピッチに倒れこみ、サポーターは抱き合った。そして、自身が流した涙の理由を理解する。この夜、応援していた選手達はもはや自分だったのだと。

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1984年生まれ、大阪府出身。関西学院大学卒業後、スカパーJSAT株式会社入社。コンテンツプロモーションやJリーグオンデマンドアプリの開発・運用等を担当。2020年に筑波大学大学院でスポーツ社会学領域の修士号を取得。現在はスポーツ系出版社のライター&WEBサイト運営。ビジネス関連のテーマを中心に取材・執筆。F1と競馬も好き