人はなぜ「サポーターになったきっかけ」を書きたがるのか -『100日後に死ぬワニ』との共通点-

メディア寄稿実績

「サポーターになったきっかけ」を語る記事が流行っている。これまでに50本くらい読んだ気がする。なぜ人はこのテーマを書きたがるのか。かくいう私も、似たようなテーマの記事を数本書いている。

たとえ、また敗れようとも

社内報に自分のJリーグライフを書いた話

大好きなサウナに入りながら長時間熟考した結果、私の場合、答えは「この先、手に入らない感情だから」だと結論付けた。初めてスタジアムに入った時の感動、初めて決勝戦に挑む時の緊張、降格した時の悲しみ……もうあの頃の感情は二度と経験できない。毎週末、深夜バスに乗ってアウェイ遠征を繰り返していた自分も、ゴール裏の真ん中で応援しないと不完全燃焼だった自分も、敗戦後は悔しさで口数が減った自分も、もう2020年にはいない。だからこそ、“当時の自分”の記憶があるうちにログを残す価値があると思った。

座席指定の年パスを購入し、キックオフ1時間前に到着後はタコヤキを食べながら選手達のアップを眺める。10年前の自分が今の姿を見たら、こう思うに違いない。「ぬるい奴だ」と。こうなった理由は年齢かもしれないし、今のガンバから得られる感動量が減ったからかもしれない。

サポーターをやめるとき

100日後に死ぬワニ

巷で話題の「100日後に死ぬワニ」。ラストシーンに桜が登場する。「刹那に散りゆく運命と知って」いるからこそ、その時間を大切したいと思わせる象徴的な存在だが、このアニメの終わりに相応しい情景描写だと思った。「サポーターになったきっかけ」記事を読むと、このアニメを思い出す。未来には(い)ないものだからこそ、過去(の感情)が尊いと感じるという意味で共通点がある。

私のサポーターライフに照らし合わせて考えると、過去の高い熱量で過ごした日々があるからこそ、ぬるい今を許せる、という側面もある気がしていて、“その時の尊さは、その時には分からない”ならば、ぬるい今のサポーターライフも、10年後には価値を持つのかもしれない。新型コロナウイルスの影響で、未来が見えない日々を生きる中で、そんなことを思った。

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ABOUTこの記事をかいた人

1984年生まれ、大阪府出身。関西学院大学卒業後、スカパーJSAT株式会社入社。コンテンツプロモーションやJリーグオンデマンドアプリの開発・運用等を担当。2020年に筑波大学大学院でスポーツ社会学領域の修士号を取得。現在はスポーツ系出版社のライター&WEBサイト運営。ビジネス関連のテーマを中心に取材・執筆。F1と競馬も好き