批判は“フリ”なのだ -遠藤選手への批判は必要だ-




想像以上に多くのメディアが報じた。前節、ヤットに出番がなかった事だ。報道量の多さはそれだけヤットがアンタッチャブルな存在だった証明でもある。「チーム内にはヤット信者が多い」と報じるメディアもあったが、ピッチ外においても影響力はきっと想像以上なのだろう。

そんな中、今節はヤットが途中出場した。個人的にはスタジアム中が「自分の価値を証明してやれ!」という期待感に包まれた様に感じた。言わずもがなスタメンを外れているからこその期待感でチームにとってはポジティブな刺激だ。ヤット批判=不要論ではない。批判の裏には期待があるし、批判と評価は「フリとオチ」に近い関係にある。批判がない世界の評価に価値があるのか。批判の先の活躍にこそ感動が待っている。

負けず嫌いのヤットにはもっと強いフリこそ力になる気もする。擁護するだけがサポーターの応援じゃない。




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一日中サッカーのことばかり考えているダメサラリーマン。東京在住の30代男性。衛星放送の会社に勤務しつつ、大学院でスポーツを勉強中。アウェイ遠征時は御朱印をもらってからスタジアムへ。炭水化物抜きダイエットを実施中。好きな食べ物はカレーライス。