後半50分、CKから札幌の同点弾が決まった時、隣に座っていたガンバサポーター仲間は立ち上がってガッツポーズをしていた。判官贔屓……なんて言葉を使うとコンサドーレ札幌に失礼かもしれないが、札幌に感情移入する気持ちは理解できた。大分トリニータ、湘南ベルマーレなどカップ戦だからこそ生まれる歓喜……下克上とも呼んでもいいドラマはルヴァンカップの醍醐味であり、感情を乗せやすい大会でもある。
しかし、札幌は負けた。信じられないくらい劇的に。2007年と2014年を除けばルヴァンカップ史上最高の決勝であろう一戦はその儚さと共に記憶されるはずだ。そして、試合直後からずっと考えていることがある。この心を揺さぶる「儚さ」という感情は何なのか。なぜ私は儚さを感じているのか。それは今も分からない。
ただ、その「分からなさ」が「儚さ」を説明する上で一番適当なのではないかと考え始めている。説明できないからこそ儚いのだと。今回の決勝は「タラレバ」を語りたくなるシーンが多かったと記憶している。
「何度かポストを叩いた川崎のシュートが1本でも入っていたら……」
「福森が交代しなければ……」
そうした“タラレバ”は理屈では説明できない。データでも完全には解析できない。その最たるものがPK合戦だ。PK合戦を行うエンドが札幌側だったら、札幌が先行だったら……。それは誰もコントロールできない神の領域。改めてサッカーは偶然性の要素が強いスポーツであることを痛感させられた。そして、それが勝敗を分ける。
理屈を超えたシーンの数々。この試合、何が勝敗を分けたかなんて本当の意味では誰も分からないのではないだろうか。だからこそ悔しいし、だからこそ納得できる。偶然性に関与することができないサポーターができることは何か。一生懸命声を出して応援する。素敵なコレオを準備して勇気を与える。御朱印を集めるなんて行動もそうかもしれない。儚さの先にある未来を信じられるか否かで生き方も変わってくる。
過去、個人的にも劇的な負け試合後ほどクラブへの愛が深まる不思議を何度も経験してきた。その愛が、悔しさが、少しの運を引き寄せる要因になっているならば、今回は川崎の方が少しだけ想いの量が多かったのかもしれない。
勝たなければ何も残らないなんて嘘だ。時は過ぎて、選手や監督が入れ替わってもきっとこの日の想いだけはずっと変わらない。試合中からベンチの選手も含めて観客を煽って一緒に戦う姿勢を見せたコンサドーレ札幌は本当に素晴らしかった。タイトル獲得とはまた違った経験を積んだクラブの今後がいちJリーグファンとして楽しみだ。
川崎フロンターレとコンサドーレ札幌の皆様、すごい試合をありがとう。

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