儚さの先にある未来 -2019ルヴァンカップ決勝観戦記-

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後半50分、CKからコンサドーレ札幌が川崎フロンターレ相手に同点弾を決めた瞬間、第三者として一緒に試合を観戦していた隣の“ガンバ大阪サポーター”は立ち上がってガッツポーズをしていた。判官贔屓……なんて言葉を使うと失礼かもしれないが、他サポの彼がコンサドーレに感情移入する気持ちは理解できた。大分トリニータ、湘南ベルマーレをはじめ、カップ戦だからこそ生まれた歓喜……下克上とも呼んでもいいドラマはルヴァンカップの醍醐味だ。

しかし、最終的にコンサドーレは負けた。信じられないくらい劇的に。(2007年2014年を除けば)ルヴァンカップ史上最高の内容であったであろう決勝戦は、その儚さと共に記憶されるはずだ。

勝たなければ何も残らない……のか?

試合終了直後からずっと考えていることがある。儚さを感じさせたコンサドーレ札幌の敗戦はなぜこんなにも人びとを感動させたのか。今もその答えは出ていない。一方で思う。説明できないからこそ感動してしまうのではないかと。

今回の決勝は“タラレバ”を語りたくなるシーンが多かった。

「何度かポストを叩いたフロンターレのシュートが1本でも入っていたら……」
「福森が交代しなければ……」

“タラレバ”は理屈で説明できない。データでも解析できない。その最たるものがPK合戦だ。PK合戦を行うエンドがコンサドーレ側だったら、コンサドーレが先行だったら……。誰もコントロールできない神の領域。あらためてサッカーは偶然性の要素が強いスポーツであることを痛感させられた。今回はそれが勝敗を分けた。

理屈を超えたシーンの数々。この試合、何が勝敗を分けたかなんて本当の意味では誰も分からないのではないだろうか。だからこそ悔しいし、だからこそ納得できる。偶然性に関与することができないサポーターができることは何か。一生懸命声を出して応援する。素敵なコレオを準備して選手達に勇気を与える。どれだけ効果があるかは分からないけど。儚さの先にある未来を信じられるか否かで生き方が変わってくる。

個人的にも劇的な負け試合後ほどクラブへの愛が深まる不思議を何度も経験してきた。その愛が、悔しさが、もし運を引き寄せる要因の1つになっているならば、今回は川崎の方が少しだけ想いの量が多かったのかもしれない。

【2016シーズン天皇杯決勝総括】虚無感の先に -川崎フロンターレの敗戦に感じたこと-

2017年1月4日

「勝たなければ何も残らない」なんて嘘だ。時が過ぎて、選手や監督が入れ替わっても、きっとこの決勝戦で感じた想いはずっと変わらない。ベンチの選手は何度もピッチ際まで飛び出し、サポーターは120分間声を枯らし、チーム全体で戦うコンサドーレの姿は本当に素晴らしかった。タイトル獲得とは違った経験を積んだクラブの今後が一人のJリーグファンとして楽しみだ。

川崎フロンターレとコンサドーレ札幌の皆様、すごい試合をありがとうございました。

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1984年生まれ、大阪府出身。関西学院大学卒業後、スカパーJSAT株式会社入社。コンテンツプロモーションやJリーグオンデマンドアプリの開発・運用等を担当。2020年に筑波大学大学院でスポーツ社会学領域の修士号を取得。現在はスポーツ系出版社のライター&WEBサイト運営。ビジネス関連のテーマを中心に取材・執筆。F1と競馬も好き