涙の意味 -藤春廣輝選手の契約満了によせて-

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記憶が正しければ、藤春廣輝選手がJ1リーグで初先発した2011年アビスパ福岡戦でのファーストプレーはトラップミスだった。TVモニター越しでも伝わる緊張感に「この選手は大丈夫だろうか……」と思ったのを覚えている。

そんな初々しさを感じさせるデビュー戦からは、13シーズンもワンクラブマンとして在籍する未来は想像できなかった。ガンバ大阪で数多くの勝利に貢献してきたバンディエラが今シーズンをもってクラブを去る。

マイペースからストイックへ

振り返れば、キャリアを通じて様々な顔を見せてくれる選手だった。

入団初期の印象は“マイペース”。当時のファンクラブ会報誌には「チームの納会に参加しない」「皆でトランプしている時になぜかトイレを我慢する」といった(少し変わった?)エピソードが紹介されている。

最初の変化は加入3年目の2013年。つかみどころのないキャラクターとして認知されつつあったので、J2優勝決定後に流した涙は多くのサポーターの心を掴んだ。他クラブからのオファーもあったにも関わらずJ2を戦うクラブに残留し、主力としてJ1昇格を果たす。同年の「黄金の脚賞」も受賞し、“クラブ愛の強い選手”としてチーム内での地位を確立した。

同級生の“春秋コンビ”で崩す左サイドはガンバの大きな武器だった

キャリアのターニングポイントになったのは、リオ五輪にオーバーエイジとして出場した2016年か。日本代表に選出されたことによる再評価が行われ、有名な弟(隆矢さん)との共同生活で食事を管理してもらっている話が記事として紹介されたのもこの頃。密かに行っていた『交代浴』や『自宅近所でのハードな自主トレ』などのルーティーンも世間に公開され、“ストイック”なイメージが浸透した。

しかし、評価をさらに高める機会になるはずだった五輪は悔しい結果に終わる。今さら何が起きたかは書かないが、個人としても多くの批判を浴びた。経験も積んで、メンタル的には強いイメージのあった藤春選手がメディアに対して「五輪後はピッチに立つのが怖かった」旨の発言をしていたことを知った時は辛かった。「これまで以上に応援しよう」と翌シーズンに背番号4のユニフォームを買ったのは、本人がネタとして五輪のことを口にする今となっては思い出として消化できる。

2016年を分岐点として考える理由は五輪以降、試合中に喜怒哀楽をあらわにするシーンが増えたからだ。特に悪質なファールを行った相手に詰め寄るなど、怒りの感情は飄々とプレーする印象の強かったこれまでの彼にはないものだった。この変化はどういう心理状態によるものだろうかと当時はよく考えた。私の勘違いかもしれないし、結論も出さなかったのだが、藤春選手ほどキャリアのある選手でもピッチ上はギリギリの戦いを強いられるのかと、プロの世界の厳しさを垣間見た気がした。

ワンクラブマンの矜持

私が知る限り、消耗の概念が最もない選手でもあった。レギュラーに定着して以降、先発出場した試合では『走行距離』『スプリント回数』が全出場選手の中で1位を記録するのは当たり前。夏場の連戦でも後半ロスタイムに平然と上下動を繰り返す姿には狂気すら感じた。

20代の頃は怪我にも強く、試合中に負傷しても「倒れてるのはハル?じゃあ、大丈夫だ」といった声をゴール裏で何度も聞いた。肩で息をして、膝に手を置いて、足を攣ってからが勝負。そう思っていた。

だから、2019年の鎖骨骨折をはじめとして、30代以降に怪我が増えたことには、時が経つことの残酷さを感じざるを得ない。特にスピードと運動量を武器とする選手だけに、年齢によるフィジカルの衰えは他の選手以上に影響は大きいはず。

ただ、そうしたマイナスを十分に補う形でピッチ内外における献身性が目立つようになる。同ポジションでレギュラーを争う黒川圭介選手に助言を送り続ける“良き兄貴”のキャラクターはすっかりサポーターに定着し、宮本恒靖監督体制時には偽サイドバックにトライする姿も見せた。

同じ左SBのポジションを争う黒川選手とも良好な関係を構築

2022年の開幕前、藤春選手にインタビュー取材をさせていただく機会に恵まれた。終始ニコニコと穏やかに対応していただいた中で、同一クラブで長くプレーできている要因を聞いた際にだけ表情の真剣さが増したことは印象に残っている。

「常に意識していたのは『監督が求めるプレーを理解する』ということ」
「監督とのコミュニケーションを大切にして、分からないことは聞いたり、苦手なプレーも練習でしっかりと取組んだりそういう姿勢は持ち続けてきました」

明るいキャラクターの中に秘めたプロとしての矜持。決して器用なタイプではないと思う。出来ないプレーにフォーカスされて、批判の声が本人の耳に届いたことは1度や2度ではないだろう。既述の五輪後や、3冠を獲得した裏で出場機会を減らした2014年、怪我や若手の台頭でベンチにも入れないことが増えていた近年。ワンクラブマンとしては決して順風満帆な歩みとはいえないかもしれない。

それでもーー。

3冠を獲得した2014年にレギュラーを争ったオ・ジェソク選手

2023シーズンをガンバ大阪で過ごした意味

2023年シーズン、藤春選手が先発出場したのは1試合のみ。この事実を考えれば契約満了は妥当な判断だと言えるし、クラブとしても、個人としても、退団の判断が1年遅かったのではないかという意見があるのも理解できる。

ただ、その唯一先発出場した第22節川崎フロンターレ戦はガンバ大阪での集大成とも言えるパフォーマンスを見せた。特に被カウンターの場面でマルシーニョ選手に何度も裏を取られそうになりながらも食らいつき、最後にはボールを奪取したシーンは、これまでのキャリアと重なって見え、試合中にも関わらず感情が溢れた。

そして、劇的勝利後に歌われた藤春チャント。それに応える藤春選手の表情は一生忘れない。2013年のJ2優勝時に流した涙とは違った意味があったはず。長くはないプロサッカー選手キャリア終盤の1年をガンバ大阪の選手として生きて手にしたあの時間が、今後の人生で力になることを願っている。

出場機会に恵まれない中でも仲間に声援を送り続けた

遠藤保仁選手、山口智選手、藤ヶ谷陽介選手……レジェンドと呼べる選手との別れは何度も経験してきたが、ワンクラブマンとの別れは特別だ。今後はクラブが選手を資産として捉え、積極的に売買する考え方がJリーグでも一般的になることが予想される。藤春選手ほど長期間クラブ(サポーター)と相思相愛な関係性は生まれない可能性もある。

最終節は85分から途中出場。ワンプレーごとに大声援が送られた

ガンバ大阪を退団後も現役は続行するとのこと。寂しさはあるが、プレーする姿を観られる可能性が高まるという点では楽しみでもある。きっと移籍先クラブの関係者はその運動量に驚き、ファン感謝デーでの躍動に慄くだろう。フォー!!!

一時代の終わり。ガンバ大阪での13シーズンお疲れ様でした。藤春選手のプレーが大好きでした。

Photos:おとがみ

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ABOUTこの記事をかいた人

1984年生まれ、大阪府出身。関西学院大学卒業後、スカパーJSAT株式会社入社。コンテンツプロモーションやJリーグオンデマンドアプリの開発・運用等を担当。2020年に筑波大学大学院でスポーツ社会学領域の修士号を取得。現在はスポーツ系出版社のライター&WEBサイト運営。ビジネス関連のテーマを中心に取材・執筆。F1と競馬も好き