サッカーには正解がないから -忘年会&新年会で覚えた『断言』への嫌悪感-

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お酒をあまり飲めない私でも、年末年始にはそれなりの数の忘年会・新年会に参加した。じっくり相手の話を聞けるという点でサシ飲み(少人数飲み)が好きで、マンネリ気味な日々を過ごす私にとって友人たちの言葉は大きな刺激を与えてくれる。

彼ら、彼女らとの会話の中で気が付いたことが1つある。

長く(深く)付き合えている友人たちには、一般的な価値観としての幸せ“ではない”生き方を肯定できる共通点があるのだ。マイノリティであることを気にしない。具体例を挙げるのは角が立つので避けるが、自分が楽しかったらそれでいいじゃない……そういうスタンスで生活しているのはカッコいい。

思い返すと、昨年面白いと感じた映画「怪物」や「市子」も(解釈は様々あるだろうが)常識の“外”に救済があることを示す内容だったと捉えている。人の数だけ幸せの形がある。

こうしたコンテンツを含め、社会キャンペーン的に「多様性の時代」であることを意識する機会が増えた。一方で、個人的には多様性が強調されるほど自身の思想を把握しにくくなっている側面もあり、自分らしく生きることの難しさを痛感する今日この頃である。

特に自分のことを「べき論」で考えしまう私は、定期的に自問自答をしないと本当の自分がどのような考えを持つ人間なのかを忘れそうになる。「本当にこれがしたい?」「本当にあれが好き?」……社会という鏡に映る自分の姿を気にして、なんとなくのポジショニングをとっているだけのような気もする。

非同意を恐れない

そんな私だが、こと話題がサッカーになると淀みなく質問に答えられる一面も持ち合わせている。

ただ「サッカーには正解がない」とはよく言ったもので、これまでの歴史で議論されてきた様々なテーマの結論は白か黒ではなく、その多くがグレーだったりする。時代によって正解が変わるなんてことは普通だ。

ペラペラと話す自分は、“他の可能性”を考慮していない様に見えるので好きではない。自分らしさを出し過ぎるのも嫌なのだ。何かを断言する自分の姿は浅はかに見える。我ながら面倒な性格をしている。

何事も答えを求めてググることが当たり前になった。明確な正解、強い意見が支持・拡散される時代。

だからこそ、少数派の意見にも目を向ける必要性を感じるし、今年は非同意を恐れない情報発信も増やすことで視野を広げたい。世の中には検索しても分からないことは多々ある……というか、人によって必要な答えは違うはずだから。

このスタンスが習慣化した時、私も少しは友人たちのような考え方をできるようになれたらいい。

そんなことを考えた年末年始。皆様、2024年もどうぞ宜しくお願い致します。

ガンバ大阪に人生を重ねて -2019シーズン編-

2019年2月21日
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ABOUTこの記事をかいた人

1984年生まれ、大阪府出身。関西学院大学卒業後、スカパーJSAT株式会社入社。コンテンツプロモーションやJリーグオンデマンドアプリの開発・運用等を担当。2020年に筑波大学大学院でスポーツ社会学領域の修士号を取得。現在はスポーツ系出版社のライター&WEBサイト運営。ビジネス関連のテーマを中心に取材・執筆。F1と競馬も好き