スケープゴート -ガンバらしさを失った原因は本当に長谷川健太監督にあるのか-

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今週「Number WEB」から長谷川健太監督体制を総括する2本の記事が公開された。両記事に共通していたのは「ガンバらしさ」への言及があったこと。今回はこの2記事を引用する形で長谷川健太監督体制のガンバを振り返る。

まずは『遠藤保仁「俺自身がしたいのは……」ガンバが失ったタイトル』からの引用。

形はどうあれ、「たまたま」や「なんとなく」の攻撃はガンバらしくない。

続いて『“ガンバらしい攻撃”は消えたのか。長谷川健太体制、5年間の栄光と影』からの引用。

現実主義者に率いられた大阪の雄は、クラブが本来、目指し続けて来た攻撃サッカーをいつしか失ってしまっていた。

文脈は記事内で確認してもらうとして、要約すると「ガンバらしさ=攻撃的サッカー」という前提で書かれていることがポイント。攻撃サッカーが失われていることへの問題提起が記事の趣旨である。

「ガンバらしさ」という呪縛

長谷川健太監督は「ガンバらしさ」から逸脱したサッカーをしている。それを批判されている。

ただ、少し気の毒な気もする。そもそも就任当初に「ガンバらしさ」など求められていなかった。守備の立て直し(構築)を最大のミッションとしての就任だった。当時と今に共通するのは「ないものねだり」であること。

攻撃サッカーは蜜の味ということか。クラブにとって西野朗監督体制時の「超攻撃」は忘れられるものではなかった。今となっては、長谷川健太監督を招集した時点で数年後のミスマッチは運命づけられていたとさえ思える。

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2017年11月26日

健太監督はこの運命に抗おうとしているようにも見えた。メディアに対して「ガンバらしさ=攻撃サッカー」主旨の発言を何度もしており、今シーズン序盤は実際に攻撃的なシステムにも挑戦している。

しかし、結果が出なかった。そして、貼られた「守備的なチームを作る監督」のレッテル。

一連の健太監督に関する報道を見聞きすると「ラべリング理論」と思い出す。周囲によって決めつけられたイメージの影響でアイデンティティが変容する。つまり、本当に周囲からのイメージ通りの人間になってしまうというもの。

「ガンバ大阪らしさ」への挑戦と自身に貼られたレッテルの狭間で何を思ったか。最終的には守備を重視するサッカーに原点回帰したチームマネジメントや、繰り返されるサポーターの志向を意識したコメントからは苦悩が垣間見えた。

そして、思う。

長谷川健太監督を「ガンバらしさ」を失ったスケープゴートにしているのではないか……と。去る人間に原因を押し付けるのは簡単だ。それでは“ガンバらしさ”は取り戻せない。

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2018年4月1日
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1984年生まれ、大阪府出身。関西学院大学卒業後、スカパーJSAT株式会社入社。コンテンツプロモーションやJリーグオンデマンドアプリの開発・運用等を担当。2020年に筑波大学大学院でスポーツ社会学領域の修士号を取得。現在はスポーツ系出版社のライター&WEBサイト運営。ビジネス関連のテーマを中心に取材・執筆。F1と競馬も好き