スケープゴート -“ガンバらしさ”を失った原因-

長谷川監督取材




今週、「Number WEB」からガンバと馴染みの深いライターである佐藤俊氏と下薗昌記氏から長谷川ガンバの5年間を総括する記事がリリースされた。両方の記事に共通して書かれていたテーマは「ガンバらしさ」について。2つの記事から引用する。

佐藤氏の記事の一文

形はどうあれ、「たまたま」や「なんとなく」の攻撃はガンバらしくない。

下薗氏の記事の一文

現実主義者に率いられた大阪の雄は、クラブが本来、目指し続けて来た攻撃サッカーをいつしか失ってしまっていた。

文脈があるので一部を切り抜くのは危険ながら「ガンバらしさ=攻撃的サッカー」という前提で書かれている。“らしさ”が失われていることに対する問題提起である。

「ガンバらしさ」という呪縛

長谷川健太監督は「ガンバらしさ」から逸脱しているから悪とされる。ただ、何が逸脱であるかは時代によって異なることを忘れてはいけない。就任当初は“ガンバらしさ”など問われていなかったし、10年後は長谷川ガンバのサッカーに回帰している可能性だってある。現時点でのガンバ大阪にとって“らしさ”が「攻撃サッカー」だったというだけだ。今となっては守備の立て直しを求められて召集された時点で長谷川健太監督とガンバ大阪のミスマッチは運命つけられていたとさえ思える。

一方で、長谷川監督はこの運命に抗おうとしていた。過去、メディアに対して「ガンバらしさとは攻撃サッカー」である主旨の発言を何度かしており、事実、今シーズン序盤は攻撃的なシステムにもチャレンジしている。ただ、結果が出なかった。そして、貼られた「守備しかできない監督」のレッテル。

ラべリング理論」というものがある。周囲によって決めつけられたイメージによって扱いが変わり、それによって本人のアイデンティティも変容し、本当にその決めつけ通りの人間になってしまうという犯罪心理学の理論である。「ガンバ大阪らしさ(攻撃的なサッカー)」と自分に貼られたレッテル(守備的サッカー)の狭間で苦しみ、そのレッテルに屈したのではないか。最終的には守備を重視するサッカーに原点回帰するチームマネジメントや、テンプレのように繰り返されるサポーターを意識したコメントから苦悩が垣間見えた。

そして、想う。

長谷川監督をガンバらしさを失った“スケープゴート”にしていないか…と。去る人間に全てを押し付けるのは簡単だ。ただ、それだけを要因とするならば“ガンバらしさ”を取り戻せない不安に駆られている。

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一日中サッカーのことばかり考えているダメサラリーマン。東京在住の30代男性。衛星放送の会社に勤務しつつ、大学院でスポーツを勉強中。アウェイ遠征時は御朱印をもらってからスタジアムへ。炭水化物抜きダイエットを実施中。好きな食べ物はカレーライス。