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中島みゆきの名曲「時代」。以下、Aメロ歌詞の転載。
そんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
ガンバ大阪創立30年間を記念して発売されたDVD「GAMBA OSAKA 1991-2021」を鑑賞した。面白かったのは、ガンバ大阪OBである岩下敬輔氏、遠藤保仁選手、今野泰幸選手の座談会が収録されているチャプター。負の歴史である「J2降格」や、選手にとって悔しい思い出であるはずの「契約満了」をネタに3人が笑い合っている様子が収められている。この座談会は自虐ネタが度々出てくるのが特徴で、視聴者としても笑えた。
時間は何も解決してくれない。笑えたのはクラブが辛い経験を糧にして、もがきながらも前に進んできた証拠だ。西野朗監督時代の「超攻撃」及び「セホロぺ人事の失敗」の代償としての守備崩壊(J2降格)を、長谷川健太監督就任で建て直したからこそ「三冠」があったということ。
ただ、どの時代も正負両面あって、長谷川健太監督時代の負の遺産である「つまらない(守備的な)サッカー」はクルピ監督も、宮本恒靖監督も解決できなかった。だから、両監督が指揮した直近4シーズンについては「あんな時代もあったね」とはまだ笑えない。
それぞれの“ガンバらしさ”
長谷川&宮本両監督の退任時、体制終了の原因として話題になったキーワードは「ガンバらしさの喪失」。「ガンバらしさ=攻撃的なサッカー」という前提のもと、守備的なサッカーは“らしくないもの”として捉えられた。
リーグ戦2位を記録した2020年シーズンですら、試合内容に対して不満の声が聞こえてきたことを考えれば、クラブは「勝つだけでは満足できない」というフェーズにある。つまり「攻撃的なサッカースタイルの確立」が、勝利と並行して片野坂和宏新監督に求められるミッションになると考えるのが自然だ。
しかし、回帰的とも言えるこの志向は本当に正しいのだろうか。
個人的に明確な「ガンバらしさとはコレ」という主張を持っている訳ではないし、「ガンバらしさ=攻撃的なサッカー」論を否定したい訳でもない。ただ、数年前にガンバの礎を築いた上野山信行氏や鴨川幸司氏がクラブを去る人事があり、今シーズンからクラブロゴが変わり、クラブの象徴的な選手の完全移籍も決まった……変化の真っ只中にいるクラブが目指す「らしさ」を決めるにはもう少し時間が必要な気がしている。
昨年、インタビュー取材をさせて頂いた大黒将志ストライカーコーチは「時代が変わっても、サッカーの本質は変わらない」と、ガンバの伝統として“技術に徹底的にこだわる”ことの大切さを語り、経営管理課の竹井学氏は“リスタート”というフレーズと共に「新しいことにもどんどん挑戦していく」姿勢を表明した。選手、監督、コーチ、フロントスタッフ、スポンサー、メディア、サポーター……それぞれの立場で考える「ガンバらしさ」が存在するのは、クラブが築いてきた30年間の歴史の賜物だ。一方で、共通認識を形成する難しさもある。
令和は「自分らしく生きる」ことが重視される時代。サッカー界も「ゲームモデル」という形でクラブのスタイルを持つことが推奨されている。ガンバもアカデミーでは既に7項目でそれが設定されているとも聞く。ただ、時代が変われば、理想のサッカーは変わる。求める人材が変わり、用いる手段も変わる。栄枯盛衰。永遠に続くスタイルなどないことは、歴史が証明している。
私は自分の人生を重ねてガンバを応援しているところがある。長期間同じ指針で運営されるクラブを尊敬する一方で、“ブレる”クラブも人間味があって共感を持てたりもする。こんなことを書くと語弊があるかもしれないが、仮に“らしさが決まらないこと”を「ガンバらしさ」と定められるようなことが起きても、私は受け入れることができると思う。
毎年、Jリーグチームは全日程終了後に一旦解散する。去る選手がいて、新しく仲間になる選手がいる。ガンバは今オフ、2021シーズンに主力として出場機会を得ていた菅沼駿哉選手、矢島慎也選手、小野裕二選手がチームを去った。ある意味で同じチームを応援できる期間は1年間だけだ。2015年末に一度ガンバを離れた片野坂氏の復帰で迎える2022年。今回の監督就任は再び訪れる別れのはじまりでもある。一期一会を噛みしめながら応援しよう。この先、どんなガンバ大阪に出会えるのかを楽しみにしながら。
中島みゆき「時代」の歌詞は、最後にこう綴られている。
まわるまわるよ 時代はまわる
別れと出会いを繰り返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ
Photos:おとがみ
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