サッカーを「媒体」と捉え、その影響力を考えて見る。例えば、2014年ワールドカップがブラジルで開催されなければ、同国の治安の悪さや、貧富の差、教育・医療問題を考える機会はなかったと思う。オシム氏が日本代表監督に就任しなかったら、ボスニアの内戦を考えることもなかった。サッカーを通じ、社会問題を自分ごととして考えることができた。
ブラインドサッカーが社会の意識を変える
ブラインドサッカーの国際大会が日本で再び開催される。昨年開催された時は、日テレをはじめとする各メディアの報道効果もあってチケットは完売。有料の障がい者スポーツイベントとしては異例の事だったらしいが、集客以上に素晴らしいと思ったのは、同スポーツを観た観客や視聴者の感想である。
「目が見えていないのに、ボールを蹴れて凄い」
「同情」の対象として見られがちな障害者が、「尊敬」の対象として言及されたことの意義。2020年に東京パラリンピック開催が決まった事で、「ダイバーシティ」や「心のバリアフリー」といった言葉をよく耳にする。ただ、同情の心をベースとして、こうした理想を実現するのは難しい。
社会の意識を変えるにはきっかけが必要だ。今では当たり前とされる「エコ」の概念は、「京都議定書」で一気に浸透したと言われている。ブラインドサッカーはどんな効果を社会に与えるのか。大いに期待したい。
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