大人になれば、自己なんて勝手に確立されると思っていた。
自分が何者であるかを説明できない。自身の評価を他者に委ね続けてきた人生のツケ。他者の眼差しから逃れられない生き方は大変だ。自己満足という選択肢は存在せず、他者からの承認を求め続けていること自体がアイデンティティになっているとすら感じる。
「これって劣等感だよな……」
気付くのにそれなりの時間を要した。自信がないからからこそ認めたくない弱さ。自問自答を繰り返すことで発見した自己は借金まみれのような状態だった。
逃げる、という選択肢はある。評価の基準を己に向けて借金相殺。けど、私にはそれが出来ない。もう生き方は変えられないのかもしれない。低すぎる自尊心、高すぎる承認欲求と上手く付き合うしかない。ハードモードの人生継続。自分探しの旅は続く。
悲観はしていない。自己に無自覚だった日々からの脱却は、新しい一歩であるはず。自分の弱さにもがく日々の中できっと何かが見えてくる。
環境変化で得た自信
昨年秋、会社を退職直前にほとんど会話したことがない役員が声を掛けてきた。
「辞めるんだってね。今後の人生色々大変だろうけど、頑張ってね」
真意は分からない。ただ、黙れと思った。形式的に何度か行われた引き留め面談では「お前、外に出たら年収下がるぞ」と、自分の価値観とは違う話を聞き流した。
先日、競技フットサルチームの練習に誘われた。遊びでしかプレーしていない身としては不安もあったが、実際にプレーすると、レベルの高い環境によって新たな能力が引き出される感覚があった。懐かしさを覚える激しい息切れに、普段は全力でプレーをしていなかったことを痛感した。
チャレンジした先にだけ評価と自信を手にすることができる。「たかがブログを続けているだけの技術では……」と通学を躊躇ったライター教室も、「何の専門性も持ち得ていない自分では……」と受験を迷ったスポーツ専攻の大学院も、今となってはそこで得た経験は自信になっている。
意図的に外の空気を吸う行動をし、全力を尽くしたからこそ得られたものは大きかった。踏み入れた環境の数だけ自分が変化した。それぞれの場で認めてくれた仲間のおかげで、自己もようやく芽生えつつある。いるべき場所も、従うべき常識もひとつじゃない。
最終出社日にプレゼントしてもらったガンバ大阪ユニホームの寄せ書きには大先輩からこんな一言が書かれてある。
「羨ましい決断だね」
2019年のガンバ活動
こんなにもガンバ大阪が好きなのは、過去に弱小クラブであったことが、劣等感を持った自分と重ねやすかったのかもしれない……と、今となっては解釈することもできる。そして、“強くなったガンバ”のサポーターであることは社会のエスカレーターを駆け上がっていくような感覚であった。
ただ、道は続く。宮本ガンバも、自分の人生も何も得ていない。激動の2018年の経験を糧に今年が勝負の一年だ。
ガンバサポーターとして、今年の活動目標を書く。
昨年に引き続き「他媒体への寄稿」を続けたい。私が他媒体で書いてきた対象は、友達かサポーター仲間。努力を重ねてきた「書くこと」で、身近な人に喜んでもらえるのは何事にも代えがたい。記事がバズると「昔の友人から記事を見たって久々に連絡があったよ」なんて反響をもらえて嬉しい。最近は「〇〇を取材しない?」と提案を受ける機会も増えつつある。サポーターとしての経験や大学院での学びのアウトプットとして、今年も記事執筆にはベストを尽くす。
そして、修士論文。テーマは「コアサポーターとクラブの共創関係について」。コアサポーターの主体性を尊敬しているので、彼らの活動を論文として記録し、そうした熱い想いを活かすクラブとの関係性を、近年のビジネストレンドでもある「共創」を切り口に考察する。インタビュー調査に是非お力お貸しください。
最後はサポーターの交友関係を増やす。昨年は色んな出会いがあった。昨年末に投稿した「コラボ記事」のような取組みが出来たら嬉しい。アイデアをお持ちの方は私のツイッターまで是非ご連絡ください。
長かったシーズンオフを終えていよいよ開幕。今年も一生懸命応援する。ピッチ上の彼らに自分を重ねながら。
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