「危ないから気をつけて」
出国前、何人の友人からこの台詞を言われただろうか。サッカーワールドカップを観戦しにブラジルに行くことを伝えると、多くの友人は現地の治安を心配する言葉を口にした。開幕前、連日のようにブラジル国内で起こっている犯罪を報道したマスコミの影響もあったのだろう。
友人曰く、
「タクシーが危ないらしいから、人通りの少ない道に行こうとしたらすぐ降りろ」
「基本的に徒歩での行動は避けろ。常に誰かに狙われていると思え」
「ホテル内が意外に危ないらしい。部屋をノックされても絶対に開けたらダメだ」
「警察が窃盗団とグルになっているときもあるらしい。ブラジルでは誰も信じるな」
これではブラジルで安心できる場所はどこにもない。思い返せば前回大会の開催地・南アフリカも、開幕前には治安の悪さが心配された。私はそれを鵜呑みにし、南アフリカに行かなかったことを後悔していた。現地観戦したサッカー仲間から「治安は大丈夫だったよ」と聞かされる度、自分の意気地無さを呪った。だから、今回は誰に何と言われようとブラジルに行くと決めていた。
マスコミ報道に踊らされず、信頼できるところから情報を得ることが大切だ。外務省HPなら間違いないだろう。国が私を安心させて出国させてくれるはず……
「けん銃を使用した凶悪犯罪が後を絶たちません」
「軍警察によるストライキが発生する可能性がある」
「強盗・窃盗などの一般犯罪が昼夜を問わず発生している」
目を疑った。むしろマスコミは報道を自粛していたくらいなのかもしれない。友人の忠告もあながち大袈裟ではないのかもしれない。外務省のHPには最後にこう記載されている。
「自分の身は自分で守る」という心構えを持って下さい。
部屋のTVから流れるニュース番組のコメンテーターが笑いながら話している。「南アフリカも治安が悪いと言われていましたが、ブラジルは本当にヤバそうですね」。笑い事ではない。“ブラジルは危険な国”……これはワールドカップ前、日本中の共通理解だった。
防犯対策
リオデジャネイロ空港に到着後すぐ、私は行動を起こした。強盗に1~2回襲われても全財産を失わないように、現地で両替したお金を複数の財布に分けた。強盗に襲われる前提である。
服はブラジル代表のユニホームを着用。「私はブラジルの味方です」アピール作戦。強盗犯に媚びることをコンセプトとしている。今回の旅を共にした後輩は、先輩の雄姿にどんな感想を持っただろうか。優先すべきは、威厳よりも身の安全。外務省の忠告(自分の身は自分で守れ)に従ったまでだ。
一方で強面に見えるサングラスも着用した。もう自分でもどう見られたいのかよく分からない。苦笑いをしている後輩の姿を見て心に誓う。コイツが襲われたとしても、見捨てて逃げよう、と。
ワールドカップ特有のコミュニケーション
先に結論を伝える。
私の防犯対策はすべて徒労に終わった……というのは、襲われたのではなく、ブラジル滞在期間中一度も危険な目に遭わなかったという意味だ。タクシーが人気のない道に行こうとすることもなく、町中に配備された警察は窃盗団とグルではなかった。むしろ、安全を感じた。あらゆる場所でブラジル人が声をかけてくれるのだ。
ブラジル人:「ジャポン?」
私:「YES」
ブラジル人:「YEAH!KAGAWA(香川)!HONDA(本田)!」
滞在期間中、ブラジル人との“共通言語”としてサッカー用語を頻繁に使用した。サッカー選手の名前ひとつでお互いが笑顔になれる素晴らしさ。カタコトの英語以上に「遠藤!!」とユニホームを見せた方が心が伝わる。「Obrigado(ありがとう)」でも「Bom dia(こんにちは)」でもない。「ネイマール」がブラジルで一番使用した言葉だ。
そして、彼らは別れ際には必ずこう言うのだ。
「チャオ!アミーゴ!」
言葉や人種の壁を超え、同じ“サッカー好き”としてブラジルから受け入れられたと感じた。彼らにサッカー用語を話す度、ブラジルに友達ができた。
謎のバス
日本-ギリシャ戦が開催された、ナタールでの出来事。試合終了直後、私達は困っていた。
スタジアムからホテルがあるポンタネグラまでは約5km。タクシーがつかまらず、電車も通っていない。ブラジルの治安に対する恐怖心は薄まっているとはいえ、夜道を歩くのは避けたい……そんな時、体格のいいブラジル人男性が声をかけてきた。相手は満面の笑みである。
「金をよこせ」
男から発せられたポルトガル語の意味は分からないが、そう言っているように聞こえた。後輩を突き出して走り出してやろうかとも思ったが、履いていたのはサンダル。自分に出来るのは立ち尽くすことだけだった。
そんな話し甲斐のない私を見た男はジェスチャーを交え始める。“運転するポーズ”、“ご飯を食べるポーズ”……そして、私が手に持っていた地図を指さした時に「どこに行きたいの?」と聞いていることを理解した。「ポンタネグラ!」と伝えると、“ついてこい”のジェスチャー。一か八か。私たちは男の後ろを歩いた。
到着した場所はバス停。停車されていたバスの中には、日本であれば明らかに違法であるレベルの人数がギュウギュウ詰めで乗車していた。バスの中にいた日本人に「このバスはポンタネグラに行きますか?」と質問すると、「多分(笑)」の回答。皆、状況としては私たちと同じようなものだったのだろう。乗る以外の選択肢がなかった。乗車率が500%程度になったところで出発。バスは無事、ポンタネグラに到着した。到着した瞬間はバスの中から拍手も発生した。我々が乗っていたバスは無料送迎バスだったようだ。
降車時、運転手は笑顔でまたこう言った。
「チャオ!アミーゴ!」
親切で声をかけてきてくれた男性に対する偏見を反省した。そして、改心を決意する。もっとオープンな気持ちでブラジル人の接しようと。
地下鉄はカラオケボックス
ブラジルで受けた数々のホスピタリティからは、ブラジル人の陽気な性格をこれでもかと実感させてもらった。特に「地下鉄」が凄かった。静かに過ごすことがマナーだと考えている我々(日本人)からすれば、ブラジルの地下鉄はカルチャーショック以外の何物でもない。なぜなら、そこは“歌う場所”なのだ。
歌われる曲はブラジル代表を応援するチャントが多かった。車内のどこからともなくチャントが歌われ始めると、10秒後には車内全体での大合唱に変わる。私は日本国旗を手に街を歩くことが多かったのだが、それを見たブラジル人が「ジャーポン♪ジャーポン♪」と即興チャントを歌ってくれたことも数回あった。彼らは私の肩に手をまわし「さあ!お前も一緒に歌うんだ」と言わんばかりに飛びはねる。郷に入れば郷に従え。同乗していた日本人サポーター苦笑いを気にしつつも歌い、飛び跳ねた。ゴール裏での経験がこんなところで活きるとは。
これがブラジル流のホスピタリティなのだろう。ブラジル滞在期間の後半は、地下鉄で過ごす時間が私のお気に入りになっていた。
東京五輪でお礼を
帰国後、友人たちの第一声はやはり「大丈夫だった?」と現地の治安を心配するものだった。日本ではブラジルで発生した犯罪の報道が、大会期間中も頻繁に行われていたらしい。ブラジルにそうした負の部分があるのは事実だろう。ただ、現地で過ごした人間としては、そこばかりが強調されることには違和感を覚える。同時に、親切にしてもらったブラジル人の皆さんに申し訳ない気持ちもある。だから、友人たちには「ブラジルはとてもフレンドリーな国だった」と伝えた。
ブラジルで経験したようなホスピタリティを、2020年東京オリンピックで実現できるだろうか。“お・も・て・な・し”をPRして開催権を獲得したからには、ブラジルには負けてられない。滝川クリステルさんは“お・も・て・な・し”の具体を「見返りを求めない精神」と説明していたが、それは私がブラジルで感じたポスピタリティそのものだ。私も日本で生活する1人の人間として、2020年は日本を訪れる外国人に、ブラジルで受けたような陽気なコミュニケーションで歓迎したいと思っている。
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