「過剰戦力(戦力過剰)」という言葉。よく使われている印象がある。それは最近のガンバ大阪に対しても。ただ、考えると不思議だ。18節終了時点で14位のクラブ戦力が過剰であるはずがないのだから。戦力不足だから弱い。そう捉える方が自然だろう。そもそも戦力が過剰で何が問題なのだろうか。強いに越したことはないはずだ。
「過剰」が差す対象は人数である。人が多過ぎることで発生する問題がある。例えばFWの陣容。ウィジョ、アデ、千真選手、食野選手……etc.。ここに復帰した宇佐美選手を主力として計算すると、前述した選手のうち数名は出場機会がかなり限定されることが予想される。伸び盛りの食野選手に出場経験を積ませられないことの是非は、サポーター間でもよく議論されている。
「タイプが違う」「ルヴァンカップ・天皇杯要員」「怪我人が出た時のリスクマネジメント」など、選択肢(選手)を多く持つ長所はもちろんある。プロのサッカークラブとして結果が最優先される以上、犠牲はつきものだ。その上で、過剰戦力の問題点を日本が世界に誇る美徳「MOTTAINAI(もったいない)」から考えてみる。
MOTTAINAI① 「実力を発揮できる場がないのはもったいない」
V・ファーレン長崎にレンタル移籍をした途端、7試合連続ゴールを決めた呉屋選手。環境次第では活躍できる実力があったことを証明した訳だが、ガンバに残っていればベンチ入りすら難しい立場だった。同じようなポテンシャルを秘めた選手はガンバに多く在籍している。
ガンバで出場機会がないまま過ごすのか、他クラブに移籍して実力を証明するのか。現役として働ける時間が限られている選手の幸せを考えると、外に出た方がキャリアの可能性が広がるのは間違いない。
MOTTAINAI② 「(使わないなら)高い年俸の選手を所属させるのはもったない」
お金(費用対効果)の話。ピッチで起用する可能性が低い高年俸選手……つまり、ベテラン選手の扱いは経営上考慮せざるをえない。ここ数試合のガンバはスタメンの急激な若返りを図ったことにより、ベテラン選手達がベンチ(外)という状況が起きている。「ピッチ外の貢献」「過去の功労」「この先に彼らの力が必要に……」などの意見を否定する訳ではないが、出場機会がないベテラン選手が多く在籍する編成を正常だとは思わない。
過剰戦力組織内でのモチベーション。そして、マネジメント
チーム内の熾烈なレギュラー争いを要因として、急成長した選手の事例は実はさほど多くない。戦いに敗れた者は去る。立場が人を育てる側面は強く、多くの選手は出場機会に比例して成長するので、レギュラーではない選手との差は広がる。だからこそ、不遇の時代を越えて活躍するジェソクのような存在は特別視される。
選手達が日々厳しい競争にさられる一方で、2度も移籍金を払って買い戻してもらえる宇佐美選手のような特別な選手もいる。サポーターとしては復帰は大歓迎なのだが、同じポジションの選手にとっては、出世目前で急に“上がつかえる”状態になるようなもの。ポストには限りがある。
私が食野選手の立場であれば「ガンバ倒産しろや、クソが!!セレッソに移籍してダービーでボコボコしたろか」と、クラブに不信感を抱くだろう。もしかしたら、怒りに任せて宇佐美選手の上靴を隠すかもしれない。ただ、食野選手は(私と違って)素晴らしいメンタリティを持っているので、宇佐美選手の復帰について「楽しみです。アカデミーの選手で、憧れの目線で見ていた。一緒にやれるのは光栄」と立派なコメントを残している。実に頼もしい。
昨年の前半戦を総括する記事でも似たようなことを書いているのだが、チームの一体感が成績(ピッチ上のパフォーマンス)に影響を与えるのは、経験則的にも多くの選手やチーム関係者が理解しているはず。大所帯のチーム編成がもたらすデメリットが昨シーズン以上に表面化しているように感じる。
元ガンバ大阪のコーチで現在は筑波大学蹴球部監督を務める小井土正亮氏は「一人一役」という筑波大学の伝統を利用し、部員一人一人に役割を与えることで、同じく大所帯である同蹴球部をマネジメントしていると語っていた。ガンバ大阪の試合に出ていない選手達には何か役割を見つけられているのだろうか。
クラブの幸せは、必ずしも所属する選手の幸せには繋がらない。全員が幸せになれる環境など存在しないのだ。常に誰かが犠牲になる。組織マネジメントの難しさを痛感する2019シーズンの前半戦だった。
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