SNS(Twitter)を眺める時間を減らしたい。
私がSNSを利用する最大の目的は「情報収集」だ。様々なニュースや、多様な意見をインプットすることで自分をアップデートし続けたい。
しかし、実態は違う。同じようなメディアの、似たようなニュースを繰り返し読み、思想が近いアカウントをフォローして、SNSを見れば見るほど、自分の考え方が固まっていくのを感じる。
Twitterの新機能「おすすめ」も解決策にならない。私の行動を分析するアルゴリズムによって“好みの情報”が並ぶ。ネット上に偶然の出会いはもはや存在しない。異常な表示率の高さで流れてくる婚活情報(広告)と、毎日数通送られてくる“カタコト日本語”のDMがムカつく。バカヤロウ。私が求めているのは、そういうことではない。
ただ、SNS上において、思想が違うアカウントとのコミュニケーションが安易ではないことも事実。SNS上で頻繁に発生している言い争いは、論点が噛み合っていないことが多い。
「それは分かった上での投稿なんだけど……」と感じるツッコミを受けた経験がある人は多いのではないか。考え方の違いは知識量に紐づいているケースが多く、プロがアマチュアからのリプライを無視するケースが多いのは、認めるしかない。世の中には、相容れない関係がある。
「サリーダ・ラボルピアーナ」は呪文(by 元サッカー部仲間)
「SNSでの偏りは、リアルの場でカバーするぞ!」と意気込んでみても、オフラインも同じようなものだ。同じ仲間と、同じスタジアムに行って、同じようなものを食べて、同じような感想を言い合う。新しい出会いを求めてスポーツバーに通ってみても、そこにいるのは常連ばかり。
気が付けば、オフラインでもSNSで繋がっている友人とばかり会っている。仕事でもSNSをきっかけに交流が始まるケースが増えた。お互いの近況や考えを共有していることは、コミュニケーションを格段にスムーズにする。
だからこそ、SNSで繋がっていない人と会うと「違う世界の住人」のように感じる時がある。共有している情報が少ないことに対して違和感を覚えてしまう。
「5レーン理論?何それ!マニアック過ぎー!」と笑う元サッカー部仲間の言葉をクソリプと解釈し、無視したくなってしまう。私達は相容れない関係ではないはずなのに。
多様性を身に付けたくて始めたSNSによって、コミュニケーションの幅を狭めてしまう皮肉。受け入れられない情報格差。
年齢、仕事、居住地、趣味……環境の変化によって人は変わる。それに伴って交友関係も変化するのは自然なことだ。だけど、その変化をもたらす要因の1つにSNSがあっていいのだろうか。
SNS(Twitter)を眺める時間を減らそう。そう思っている。
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