抑えられない興奮は、体をキックオフ7時間前にベトナム・ミーディン国立競技場へ向かわせた。しかし、到着後に知らされる衝撃の事実。チケット完売。噂に聞いていた通り、東南アジア王者の称号をかけて戦うサッカー国際大会「スズキカップ」の人気は高いようだ。
ただ、諦める訳にはいかない。YouTubeで何度も見た“熱狂のスタジアム”が目の前にあるのだ。日本人らしく現地人のカモとして、定価の5倍の値段でチケットを購入した。後悔はしていない。この夜、値段以上の感動をその場所で経験したのだから。
愛国心と国の勢いを感じるスタジアム
スタジアムが放つ熱量は、YouTubeで観た動画以上であった。キックオフ直後からなんてことないプレーに対して、ゴールが決まったかのような大声量がスタジアムに響き渡る。耳をつんざくベトナムコール。観客の「ベトナム国旗Tシャツ」着用率の異常な高さ。どれも強い愛国心を感じるものだ。
スタジアムの一体感からは、国が持つポテンシャルや勢いを感じずにはいられなかった。国名がプリントされたハチマキを頭に巻き、声援を送るサポーターの姿は、高い経済成長率に代表される国の勢いを象徴しているよう。日本にもこんな時代があったのだろうか。もうこんな雰囲気は我が国では経験できないだろう。
スタジアムに社会常識は必要か?
発煙筒を焚き、車の上で国旗を振りながら踊り狂う。スタジアムは自分を開放する場所。ある種の“社会の捌け口”として機能しているように感じた。この光景を見たくてベトナムまで行った。なぜか惹かれてしまうのだ。
彼らが同じことをパナソニックスタジアムで行った場合、クラブから出禁が即通知されるだろう。日本のスタジアムはルールが徹底されているからこそ、女性や子供も安心して観戦ができる。Jリーグが世界に誇れる長所だ。日本にとってスタジアムは非日常空間ではない。
ベトナムは少し違う。スタジアムが社会の倫理から少し外れた場所として機能しているように見えた。そこでは羽目を外すことを一定の範囲で皆が許容している。
スタジアムからホテルに戻るタクシーの中で「私のサッカー観戦はいつから行儀正しいものになったのだろう」と考えた。日本では、社会の中でサッカーの存在感が増すにつれ、求められる社会常識のレベルも高くなっている印象を受ける。それは嬉しい反面、自らを苦しめている側面もある。スタジアムでのルールが厳しくなることと比例するように、悪化(増加)するSNSでの誹謗中傷を見ていると、スタジアムの役割とは何なのかを考えたくなった。
ベトナムも今後、日本と同じような変化の道を辿る可能性はある。だからこそ、この日見たミーディン国立競技場での光景を“大切な今”として記憶に残そうと思う。
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