コロナ禍のJリーグでも守りたいもの

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非常事態宣言後の自粛期間中、自分にとって「Jリーグとは何か」を考えてみた。

ここで挙げた3つの定義は、今ではどれも叶わない。感染リスクが高い行動として批判の対象ですらある。唾が飛び、密になり、ウイルスを運ぶ。

そして、これを読んでいる方は同時にこうも思うかもしれない。

「その3つは本当に重要?」

Jリーグの定義として、この3つを挙げる私はマイノリティだろう。そもそもの視点がサポーターの立場に偏っているのはさておき、一人部屋でDAZN観戦するJリーグだって間違いなく本物のそれであり、コンテンツの核である試合や選手、クラブにも言及していない。

しかし、そんな邪道な定義にこそ本質があるとも思う……多様性の容認。

「それもまたJリーグ」

このメンタリティこそJリーグが広く認知され、多くの人に愛されてきた理由ではないか。「ゴール裏応援強要」など、過去の問題を振り返ってみても、多様性を認める形で前進してきた歴史を持っていると認識している。

多様性はコロナ禍で失われるのか

今ほどメディアリテラシーが求められる時代は記憶にない。視点が変われば意見も変わる。当たり前のことだ。

例えば、サポーターにとっても関係ある施策である「GoTo トラベルキャンペーン」。安全か経済か。無論、あらゆる論点は二者択一ではないのだが、メディアを通じて見聞きすものは極端に右か左に偏る意見が多い印象を受ける。そして、その報道が世論を形成する。

「自分達と意見が違う奴(マイノリティ)は殺せ」の世界。世間(マジョリティ)の波に流されることでしか生きていけない。自分の意見を持つことはリスクとすら感じる。

恐れているのはコロナ禍で「それもまたJリーグ」のメンタリティが消えることだ。

2020年の流行語大賞になりそうな「自粛警察」は確実にJリーグもパトロール範囲にしている。「スタジアムで声を出していないか」「隠れアウェイサポはいないか」「試合後に飲みに行っていないか」……etc.

今の時代、彼らは正しい。ただ、このルールや価値観を押し付ける風潮がコロナ後のサッカー界には残って欲しくないと切に願う。正論しかない世界はつまらないから。

2020年は東京オリンピック・パラリンピックが開催され、日本にダイバーシティが浸透する1年になるはずだった。それがどんな皮肉か。

コロナ憎んで人を憎まず。早く平穏なJリーグライフが戻ってきますように。

Photos:おとがみ

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ABOUTこの記事をかいた人

1984年生まれ、大阪府出身。関西学院大学卒業後、スカパーJSAT株式会社入社。コンテンツプロモーションやJリーグオンデマンドアプリの開発・運用等を担当。2020年に筑波大学大学院でスポーツ社会学領域の修士号を取得。現在はスポーツ系出版社のライター&WEBサイト運営。ビジネス関連のテーマを中心に取材・執筆。F1と競馬も好き