サポーターをやめるとき

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「それだけ夢中になれるものがあって幸せだね」

毎週毎週、飽きずに全国のスタジアムに出かける様子からそう見えたのだろう。ただ、そんな私でも最近は自問自答を繰り返している。いつまでこのサポーターライフを続けるのか……と。

年齢が30歳を過ぎてから結婚、出産と人生の新しいステージに入った仲間も増えた。ずっと一緒にガンバ大阪を応援し続けると思っていた奴でさえ、生活における優先順位が変わる過程を間近で見てきた。数年前までは「ガンバの試合が自由に観られなくなるなんて可哀想」と同情していた気持ちに、寂しさや焦りが混じり始めていることを否定できない。

何かを犠牲にして何かを得るのが世の常だ。サッカーを観に行くことを我慢したお金で婚活でもした方がこれから先、真っ当な人生を歩めるのかもしれない。ただ、サポーターライフを犠牲にする自分が想像できない。サッカーが自分の生活の中心から無くなる事が正直、怖い。

ガンバ大阪の物語は続きます

そんな最中、終わりを意識させられる出来事が起きる。ガンバサポーターブログのポータルサイトであるAOQLO PEOPLEが閉鎖したのだ。同サイトの運営が開始された2004年頃は、ガンバ大阪が強豪クラブへの道を本格的に歩み始めた時期とシンクロしていたこともあり、サポーターブログは開設ラッシュで大いに盛り上がった。個人的にも同サイトでの交流をきっかけに知り合ったサポーターは多い。サイト閉鎖の理由は管理人の一身上の都合となっているが、SNS全盛の時代において、その役割を終えたとも捉える事もでき、未だ頻繁に訪問していた私としては居場所を一つ失ったようで悲しかった。

閉鎖から2ヶ月後、違う別れが訪れる。スタジアム内外でガンバ大阪の応援をリードしてくれていたサポーター団体が、ナチスを連想させる旗を掲げていたことをJリーグに問題視され、団体は解散。所属メンバーには無期限活動禁止の処分が下された。『AOQLO PEOPLE』と理由は違うが、サポーターを牽引してくれていた存在との別れに大きな虚脱感を覚えた。

しかし、そんな私とは対照的に、本人達が終わりをそこまで悲観的に捉えていないことは意外だった。共通していたのはある種の達成感。直接会話をした訳ではなく、インターネットで見聞きしたものなので本心は分からないが、自分(達)のこれまでの活動は〝未来につながっている〟と感じている様に見えた。〝託す〟感覚と近いのかもしれない。つまり、閉鎖も解散も本当の意味では終わりではない。『AOQLO PEOPLE』最後の記事の文末にはこう書かれている。

AOQLO PEOPLEが無くなっても、ガンバ大阪の物語は続きます。

ここ数年考え続けていることがある。それは「成し遂げる」必要性だ。何かを成し遂げるのではなく、〝バトンをつなげる(託す)〟ことこそ正しい生き方ではないか。『AOQLO PEOPLE』があったからこそ私がサッカーブログを12年続けられてきたように、今度は私が次世代に何を残せるのかを考えたい。

自分が老害サポーターになる日 -ガンバ大阪創立30周年によせて-

2021年10月10日

歴史を紡ぐ

ガンバ大阪が万博記念競技場で試合を行っていた頃、バックスタンドの片隅で一部有志サポーターによる『歌え万博』という活動が行われていた。万博記念競技場の収容人数にちなみ「2万人応援運動」とも銘打たれており、声を出しての応援がしにくいバックスタンドで積極的にチャント(応援歌)を歌い、手を叩き、選手を勇気付けようという趣旨のものだった。

『歌え万博』はサポーターとしての原風景だ。サポーターになりたての頃は仲間もおらず、1人で観戦することも多かったのだが、同活動によって近くに座っているサポーターとの連帯感を感じ、寂しい思いをせずに済んだことをよく覚えている。ガンバ大阪を応援したい。けど、歌うのは恥ずかしい。ゴール裏は少し恐い。そんな私にとって、彼らの近くは自分の最初の居場所だった。この活動には結局、最後まで積極的に参加できた訳ではないのだが、ゴールの瞬間に周りの人とハイタッチをする、それくらいの距離感で十分満足だった。

「歌え万博」を経て、応援場所をゴール裏へ移した

そして、現在。2016年から試合で使用されているパナソニックスタジアムでは『歌え万博』は行われていない。活動エリアだったバックスタンドが全席指定席化されたこと等の理由で活動が困難になったのだろう。ただ、彼らがいなくてもバックスタンドのサポーターは、立ちあがり選手達を迎い入れ、2万人以上のサポーターがチャントを歌っている。『歌え万博』からのバトンは、新しいスタジアムで多くのサポーターにつなげられたのだ。

先輩達の様々な貢献があるからこそ今がある。その積み重ねがサポーター文化を大きくしてきた実感が私にはある。ガンバ大阪が昨年から始めた「応援のあり方のプロジェクトチーム」。未来に進むことは何かを変えることと同義であり、良い取り組みだ。ただ、それは過去を否定することではない。これから私達が進む道は「AOQLO PEOPLE」「サポーター団体」「歌え万博」……彼らが創ってきた道の延長線上にしかないはずだから。

私も偉大な先輩達のように在りたい。バトンをつなげられたと思えた時、きっとサポーターをやめるのは怖くない。

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1 個のコメント

  • 私も歌え万博のおかげで、ガンバサポになれた一人です。小3の甥っ子を連れて二人で初めて万博バックスタンドに行った日に、歌万の誘いで手を叩き声を出し。スタジアム入る前の不安が吹き飛び一気に虜になりました。
    そんな甥っ子も高校卒業し今では自費でゴール裏で飛び跳ね叫んでいます。確かに歌万は次世代に繋げましたね。

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    1984年生まれ、大阪府出身。関西学院大学卒業後、スカパーJSAT株式会社入社。コンテンツプロモーションやJリーグオンデマンドアプリの開発・運用等を担当。2020年に筑波大学大学院でスポーツ社会学領域の修士号を取得。現在はスポーツ系出版社のライター&WEBサイト運営。ビジネス関連のテーマを中心に取材・執筆。F1と競馬も好き