1失点完封の罠 -なぜガンバはこんなにも自分みたいなのか-

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「湘南ベルマーレのDVD」が売れているらしい。見所はロッカールームで起きた選手同士の激しい口論や監督の激昂シーン。緊張感溢れる映像にサポーターは何を感じたのだろう。

私は羨ましい、と感じた。己は“他者という鏡”でしか、その存在を確認することができない。一般論として、人間関係は昔よりも希薄になっていると言われているし、実体験としても年を重ねるほど相手に気を遣う機会も増えた。だから、お互いに要求し合うベルマーレのロッカールームは、本当の自分を知る貴重な場に思えた。

ロッカールーム映像を見た多くのガンバサポーターは「ガンバのロッカールームではありえない光景」といった趣旨の発言をSNSに投稿していた。大人しいのはガンバの伝統だが、それが甘さに繋がっているという側面はあるかもしれない。繰り返す立ち上がりの失点や終盤の失点。嫌な流れを1試合で断ち切れない悪癖の背景を考えてみる価値はある。

同族嫌悪

ただ、正面を切ってそんなガンバを批判することができない自分がいる。

1失点の試合を「ガンバは1失点完封だからOK」と自虐ネタに変えてヘラヘラしている私に、ダイエット中なのに「今日はガンバ勝ったからカロリーゼロ!」と夜中にラーメンを食べちゃう私に、誰かの甘さを批判する資格はないのだ。

同じミスを繰り返す、調子の良さに油断してたら大逆転を食らう、負けたあと自虐に逃げる、ポストに神頼み、エンド交代でゲン担ぎ、人に強く要求できない……私が応援している相手はガンバか?それとも自分か?

私はガンバ大阪を鏡にしてきた。ピッチでの出来事を学びとして、自分の人生に反映してきた自覚がある。弱い時代が長かったガンバ。負けて負けて負けて……そこから何を見出すのか。サッカーにおける勝者はほんと一握り。大多数が負ける。その意味ではサッカーは負け方の美学が問われるスポーツだ。連続する不甲斐なさを認める訳にはいかない。

たとえ、また敗れようとも

2020年9月14日

この先も努力が報われないこともあるだろう。理不尽な判定で泣かされることもあるだろう。誰も正しい評価をしてくれないかもしれない。それでも、生きていくしかない。だからこそ、応援するのだ。信じている気持ちを伝えるのだ。ガンバの姿を鏡に自分も頑張りたいから。

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1984年生まれ、大阪府出身。関西学院大学卒業後、スカパーJSAT株式会社入社。コンテンツプロモーションやJリーグオンデマンドアプリの開発・運用等を担当。2020年に筑波大学大学院でスポーツ社会学領域の修士号を取得。現在はスポーツ系出版社のライター&WEBサイト運営。ビジネス関連のテーマを中心に取材・執筆。F1と競馬も好き