「マニアがコンテンツを潰す」という格言は、様々な業界で有効らしい。応援歴の長いファンがライトファンに排他的な態度を取ったり、コンテンツ側がコアファンに配慮をし過ぎて、新規ファン開拓を怠ったりすることで、業界が衰退する問題のことである。
ガンバの躍進に比例する形で、近年は「最近サポーターになりました」という人との出会いが増えた。初体験が連続する日々に刺激を受けていることは、会話の中でヒシヒシと伝わってくる。「歴史を多くのサポーターと共有することが、コンテンツを魅力的にする」が持論の私はコアファン側の人間だ。過去の共有を求める姿勢は、もしかすると排他的に映っているかもしれない。
弱い時代を知らなくても、ガンバが勝てば嬉しい。2002年ワールドカップの“バッドマン”を知らなくても、宮本恒靖氏はガンバのレジェンド。2008年の“暴動”を知らなくても、レッズサポーターはなんかムカつく。それでいいのだ。
経験が感動の邪魔をする
Jリーグは継続的に応援する事で、紡がれる歴史を楽しめるコンテンツだ。例えば、2007年のナビスコカップ決勝。会場は国立競技場。仙石幸一さん(スタジアムDJ)がスタメン紹介前の口上で「国立に忘れ物を取りに来た」旨の発言をした際、サポーターは湧いた。涙を流している人もいた。これは2年前(2005年)の同舞台(ナビスコカップ決勝)で負けた経験があるからこそ。
一方で、積み重ねてきた経験が感度を下げる時があることも事実。もう私は国立競技場に忘れ物はないのだ。Jリーグも、ルヴァンカップも、天皇杯も、ACLも……私には残された初体験が少ない。
シーズンすべての試合をスタジアムで応援するような、最前線でサポーター活動をしていた人間が、燃え尽きるかのように急にスタジアムから距離を置いた事例を多々知っている。そういう人達を見ていると、いつか私もそうなるのではないか、Jリーグに関する関心が薄れてしまうのではないかと、不安になる時がある。長く愛するためには、一定の距離感を保つことも必要なのかもしれない。
ただ、そんな私の不安を解消してくれる存在がライトファンだ。新鮮な気持ちでJリーグを楽しむ彼らの近くにいると、サポーターライフの新しいサイクル(2周目)を楽しんでいるような感覚になる。コアファンは、ライトファンがいてこそ存在価値が生まれるように感じる。だから、私はライトファンが楽しめる手助けをしたいし、そうした役割のバトンの受け渡しの先にコンテンツの発展があるのだとも思う。
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