最近、夜な夜なYouTubeで懐メロを聴くことにハマっている。発売当時は何も感じなかった歌詞が、今の自分には心に響く……それ癒しなのか、慰めなのかは分からないが、誰しも似たような経験があるはずだ。
私の場合は共感度……つまり、曲(歌詞)と自分の心境のシンクロ率が高いものに心を動かされる。そして、それは歌手と曲の関係性にも当てはまる。
例えば、女性アイドルグループがメンバーの卒業時に「別れ」をテーマとした曲を歌うことなどは典型だろう。必然性があり、歌に感情を込めやすい。曲の背景にあるストーリーを、歌い手と聴き手が共有できていることも大きい。
ただ、逆もまた然り。懐メロを現在(年齢を重ねた)のアーティストが歌う動画で感動したことがない。歌い過ぎた影響なのか、変なアレンジを加えていることも多い。当たり前といえば当たり前だ。16歳の恋心を50歳の大人が歌っても、趣深さこそあれ、説得力はない。要はその時に歌うからこそ、意味がある曲が存在するということだ。
片野坂ガンバ、崖っぷちの夏
残念ながら、今年もガンバ大阪はJ1残留争う順位にいる。そして、順位と同じくらい悲しいのは、ピッチ上で展開されるサッカーのスタイルが、期待していたソレとは違うことだ。細かいパスを繋いで、ペナルティエリアの中まで崩しきって、点を取りまくる超攻撃なサッカー。シーズン前はそういうものを想像していた。現実は……。
しかし、その期待は私が2005年〜2008年頃の“懐ガンバ”に囚われていることの証でもある。時代が変われば、サッカーの流行も変化して、選手も入れ替わる。「服に体を合わせるのではなく、体に服を合わせなさい」は高校サッカー部時代の顧問の口癖。“パトポン”が最もゴールの可能性があるチームに対して、細かくパスを繋ぐことを求めるのは、50歳になった歌手に16歳の恋心の歌を期待していることと同じなのかもしれない。過去を浪漫として語るのはいいが、現在にも同じものを求めるのは老害の始まりかもなと自分を戒めている。
では、今のガンバにとって“体に合った服”とはどのようなサッカーなのか。直近のF・マリノス戦、コンサドーレ戦からは「ハイプレス」を導入したように見える。暑い時期の連戦中のタイミングで、その決断はリスクがあるようにも感じるが、選手とのコミュニケーションを重視する片野坂監督が下した判断なのだから信じるのみ。
ポジティブに捉えれば、最前線のパトを筆頭に、秋や山見選手など、献身性の高い選手は多く、挑戦する意味はある。ネガティブに捉えれば、まともにボールを運べない現状では、敵陣でボールを奪うことくらいしか得点を取れる術がない。
試合毎にチームの成長を感じた序盤戦。完全に停滞した中盤戦。そして、シフトチェンジをして挑む後半戦。過去を懐かしむのは創立30周年の昨年まででいい。新しいガンバのスタイルで感動……までは期待しないので、なんとかJ1残留できることを祈っている。
Photo:おとがみ
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