「サポーターになったきっかけ」を語るアウトプットが人気になって久しい。もはやサポーターブログ界において定番ジャンルと言っていい。なぜこれが流行るのか。それは多くのサポーターにとってもう手に入らない感情だからではないだろうか。

初めてスタジアムに行ったときの感動、初めて決勝戦の舞台に挑む興奮、初めて降格した悲しみ……もうあの感情は経験できない。すべて2度目、3度目……。あの時しか味わえないものは間違いなく存在した。

毎週夜行バスに乗ってキックオフ10時間前にシート貼りをしていた自分はもういない。ゴール裏のど真ん中に位置取らないと不完全燃焼を感じた自分はもういない。敗戦後、絶望感で口数が減った自分はもういない。

指定席の年パスにキックオフ1時間前に到着し、たこ焼きを食べながらアップを眺め、勝っても負けても試合後は仲間もダラダラとお酒を飲む。見方によれば熱量が下がったと捉えられるのだろう。10年前の私が現在の私を見れば「ぬるサポ」だ。そうなった原因はサッカーから得られる感動や興奮といった対価が減ったからなのかもしれないし、年(年齢)相応の落ち着きを得たとも考えることもできる。

ただ、1つ変わらないのは「ずっと好き」ということだ。そこは確信している。むしろ、想い出が増えれば増えるほど対象に対する気持ちは増している。スタジアムでの声量やブログの更新頻度はサッカー愛とは比例しない。そこをまず自分自身が認めることでサッカーとの関係はサスティナブルになるのではないだろうか。

サポーターをやめるとき

過去の全力投入があるから今がある

一方でこうも想う。過去、全力で応援した時期があるからこそ今の自分を認められるのではないかと。「やりきった」なんて偉そうなことを言えるほどではないながらも、ゲーフラ作って、国内外の遠征を繰り返して……最前線で頑張ったと思えるからこそ今の“ぬるい”距離感を楽しめている気がするのだ。

先日、身近な人と時間の過ごし方で少し喧嘩になった。平穏に時間を過ごしたい想いから平々凡々なプランを提案する私に対して「もっと今を大切にすべき」との反論。曰く「今の関係性でしか経験できない感情やことがある」と。

いまいち実感を持てなかったが、心に引っかかって最近ずっとそれを考えている。平々凡々こそ継続性を担保できるアプローチだと思っていたが違うのかもしれない。サッカーに当てはめて考えるのは自分の癖(病気)だが、それで少し相手の主張も分かってきた。今を大切にしてこそ未来を得れるのは“墓場”のU-23で努力を重ねた食野や福田の躍進からも学ぶことができるから。

今しかできないことがあるという事実。そこに気が付けるか否かで未来が変わる。話題になった「100日後に死ぬワニ」のラストシーンは桜。皆が刹那に散りゆく運命と知っているからこそ、その時間を大切にする象徴的な存在だが、実は全ての事柄に同じことが当てはまるのかもしれない。

コロナウイルスの影響でJリーグがない日常を経験して痛感するJリーグがある日々の有難さ。再開後は1試合1試合をこれまで以上に大切にしようと思っている。

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ABOUTこの記事をかいた人

ガンバ大阪サポーターブロガー。東京在住30代男性。10年間の衛星放送会社勤務を経て、サッカーメディア会社へ。筑波大学大学院スポーツ社会学修士。週末ダイエットフットボーラー。趣味は炭水化物抜きダイエット。好きな食べ物はカレーライスとラーメン。