離れてもなお -遠藤保仁選手との再会-

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ヤマハスタジアムに行くと、2012年のJ2降格が決まった試合のことを思い出す。あの日、試合後にピッチ上で演奏された「必死マン」(シクラメン)を聞いた時の虚無感は多分、一生忘れない。

あれから10年が経った。当時、真っ先にクラブ残留を表明し、翌年のJ1昇格、翌々年の3冠達成を牽引した司令塔は、背番号50がプリントされた相手クラブのユニホームを着て同じスタジアムのピッチに立っていた。

御厨駅からヤマハスタジアムへの道中に展示された遠藤選手のタペストリー

Jリーガーは個人事業主なので、遠藤保仁選手は昔から“クラブのもの”ではないし、もちろんサポーターのものでもなかった。だけど、対戦相手という形でガンバに攻めてくるヤットを見て、何も感じないほどレジェンドの移籍を軽く捉えることはできない。

独特の間でボールを受け、さばき、受け、さばき……この繰り返しでチームにリズムが生まれる様は美しく、ただ、それだけに切なくもあり。

離れてもなお -遠藤保仁選手との再会-

2022年3月12日

「ガンバだから特別ではない」

前述のJ2降格直後、ヤットが口にしたクラブ残留理由は「契約が2014年まで残っているので」という現実的なものだった。そして今年、古巣対戦についても「ガンバだから特別ではない。同じようにピッチに入る」と気負いを感じさせない、らしいコメントを戦前に残している。

いつだって事象をセンチメンタルに捉えてしまうのはサポーター側だ。ヤットとの再会を迎えた今節、ヤマハスタジアムのアウェイエリアに陣取った我々は「遠藤保仁」の名前がスタメン紹介でコールされれば拍手で称え、座席近くでプレーした時はカメラのシャッター音を響かせ、「ヤットが挨拶に来るかも」という期待で試合後のスタジアムに残った(結局、来なかった)。そうした行為を行った誰もが「元ガンバの選手だから」という単純な理由では説明できない特別な想いを持っていた。

サッカー観戦日和に開催されたジュビロ磐田戦

そんな“ヤットダービー”の雰囲気が強いことに刺激を受けたかは定かではないが、同じくガンバOBの大森晃太郎選手に先制点を決められ、肝心の試合は悔しいドロー決着。ただ、試合終盤に見せたベンチの一体感(片野坂イズムを感じる集団リアクション芸)など、毎節ポジティブな変化を発見できることに喜びも感じている。

今のチームにヤットのようなスーパースターはいない。だからこそ、団結して、総力戦で戦う様子には心が動かされる。片野坂体制になって、長年の課題だった“脱ヤット”への道を本当の意味で進み始めているのかもしれない。

サッカーイラストレーター五島聡さんが描いた遠藤保仁選手の絵を買った話

2018年5月20日

離れて得たもの

田中達也選手のような例もある一方で、クラブを離れてもなお……いや、ガンバ在籍晩期の評価を考えれば、別れがあったからこそ相手を思える関係がある。求めれば求めるほど心が離れるリスクを抱えていた時期を経て、他クラブで再確認できた遠藤選手の魅力。

古巣対戦を終えた遠藤選手は試合後の記者会見を断ったという。その真意は分からないが、静けさの中に熱量を隠し持つのがヤットの真骨頂。パナスタでの再戦時は今節以上のパフォーマンスを見せてくるのではないか。

最後に当たり前のことを書くが、ヤットはジュビロ磐田の選手だった。ホームクラブサポーターからの声援と、アウェイクラブサポーターからのリスペクトが混ざるヤマハスタジアムで過ごした時間でその事実をあらためて実感した。

42歳という年齢でJ1クラブのレギュラーを勝ち得ていることへの尊敬と、この先、自分の声援をヤットに届けられないであろうことに一抹の寂しさを覚えながら。

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1984年生まれ、大阪府出身。関西学院大学卒業後、スカパーJSAT株式会社入社。コンテンツプロモーションやJリーグオンデマンドアプリの開発・運用等を担当。2020年に筑波大学大学院でスポーツ社会学領域の修士号を取得。現在はスポーツ系出版社のライター&WEBサイト運営。ビジネス関連のテーマを中心に取材・執筆。F1と競馬も好き