ガンバ大阪の社員さんにインタビューさせていただいた記事「4973人の『GAMBA EXPO』がつなぐ未来。ガンバ大阪、30年目のリスタート」を先日公開した。書き手の立場から記事内容を要約すると、ポイントは「コロナ禍でも『GAMBA EXPO』を開催したのは、投資的な意味合いがある」「創立30周年という節目で、変わることと、変わらないことがある」の2点。タイトルにはクラブを取り巻く状況が難しい中でも、この記事が未来を考えるきっかけの1つになれば、という想いを込めた。
このインタビューの中で私は山見大登選手(関西学院大学)の名前を出している。彼にガンバサポーターとしての顔があることがその理由で、クラブの歴史……特に強かった頃のガンバのイメージを若手選手が持っているのは、重要なことだと考えるからだ。同じことは「CAZI散歩」で西野朗監督時代のガンバについて語っている唐山翔自選手にも言える。
試合に関するサポーターの感想や、要所でクラブ(監督・選手・社長)から発せられる「ガンバのスタイル」についての言及から推測すると、30年目以降のガンバ大阪でも“変わらないこと”の1つが「攻撃サッカー」だろう。西野朗監督退任以降のガンバのスタイルは守備的サッカーなので(クルピ時代を除く)、“戻したいこと”と表する方が正確かもしれない。定期的に話題になる「西野朗監督復帰待望論」も、ベースにはこの考えがある。そうした背景があるからこそ、山見選手や唐山選手が、過去をクラブやサポーターと共有できることの意味は大きい。
成功体験が違うサポーター層
一方で、この共通認識はいつまで有効なのだろうかとも思う。2019年度「Jリーグ観戦者調査」によれば、ガンバサポーターの約4割が2011年以降に観戦を始めている。つまり、2008年のACL制覇に代表される西野朗監督時代(クラブ黄金期)を知らない。万博記念競技場に紙吹雪が舞ったことも知らないし、クリスティアーノ・ロナウドがガンバ(安田理大選手)のユニフォームを着てインタビューに答えたことも知らない。この層にとってガンバ大阪の最高潮は、2014年の長谷川健太監督時代(3冠)であり、「強いガンバ=堅守」なのだ。“超攻撃”ではなく、“ファストブレイク”で成功体験を持っている。
昨年、EXIT兼近さんのドラゴンボールを例にした世代間ギャップ発言が話題になったが、「マリノス戦の渡辺光輝のバックヘッドのゴールがね……」なんて語る自分が老害扱いされる日は近い。ただでさえ、近年は意見が多様化し(にも関わらず不寛容)、どんなジャンルにおいてもファンのモデル化が難しい時代だ。そこにクラブとしての歴史が積み重なり、サポーターの世代も広がる中で、「ガンバらしさ」の共通認識形成は、これまでの30年以上に難しいものになるだろう。サポーターが分断されるような、過去の過ちを繰り返さないためにも、大前提として「ガンバサポーターは仲間」という意識を持ち、歩み寄ることが大切になる。
外の血
そんなことを書いていたら、クラブが今後の指針となる「クラブコンセプト」を突如発表した。
クラブコンセプトに関しては情報量が多く、論点が多岐にわたるのでここでは詳しく触れないが、話題になったことのことの1つが、本件の特命広報大使に前園真聖氏が就任したことである。張本人が「なぜ自分が……」と戸惑っているように、サポーター間でもクラブ在籍実績のない前園氏の就任については同様のリアクションが多くみられた。私も同じ所感だった。
ただ、OB以外の就任に違和感を持つこと自体が老害の始まりではないかと、今は自分を戒めている。そもそも過去30年の歴史を振り返れば、結果を出した人材は西野監督(日立)しかり、長谷川監督(清水)しかり、外の血なのだ。むしろ前園氏の就任は、クラブがリスタートを切ろうとするタイミングに相応しい登用なのだと、考えを改めている。
時が経てば経つほど、経験を積めば積むほど、変わるのは難しい。過去に成功体験を持っている場合は余計にそうだ。だから、賛否両論あるクラブコンセプトも、変化(進化)の象徴としてポジティブに解釈しようと思う。
変化があるのは私も同じ。学生時代~20代を中心とした30年目までのサポーターライフは、自由気ままにアウェイ遠征を繰り返し、平日も会社を休んで海外へ飛んだ。年齢と共に生活環境や立場も変わり、クラブとの向き合い方はこれまでとは違うものにならざるを得ない。少し寂しい気もするが、きっとそれでいい。クラブとの良い距離感を見つけ、長く応援を続けられるように自分自身も変わらなければいけない。
最後になりましたが、創立30周年おめでとうございます。31年目以降も宜しくお願いします。
Photos:おとがみ
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