Jリーグのサポーターは、当事者意識が高いと評される。愛するクラブが勝つために、自己犠牲も厭わない。お客様として扱われることを嫌う。ウィーアーなんちゃら……である。以前、某Jリーグクラブのコールリーダーが、ゴール裏に集うサポーターにこんな呼びかけをしている姿がテレビ番組に映し出されていた。
「次の試合、仕事の人もいるかもしれないけど、無理をしてでもスタジアムを埋めましょうよ!」
この発言についての是非をここでは論じない。この考え方を美徳として持っているサポーターが一定数存在するという事実を、まずは本記事の前提として記することにする。
自然体のスタジアム
バルセロナでこの記事を書いている。
この地をホームタウンとするサッカークラブ「FCバルセロナ」は、ファンがクラブ運営に対して発言権や決議権を持つソシオ制度を採用しており、Jリーグと同じ……いや、それ以上にクラブへのエンゲージメントが高い人達に支えられている。そうした人々で埋め尽くされる(しかも、多くはシーズンチケット保有者らしい)「カンプ・ノウ」の雰囲気、熱量を現地で体験することが遠征の目的である。
カンプ・ノウの雰囲気は、想像とはまるで違うものだった。私が知っている“熱いサポーター”の定義はウルトラスを基準としたものだ。「横断幕」「チャント」「ゲーフラ」「発煙筒」「決起集会」「バス待ち」……etc.カンプ・ノウはそうしたものとは無縁の雰囲気だった。
そもそもゴール裏でチャントを歌っている人すらマイノリティで、多くの観客はユニホームも着ていなかった。キックオフ時間のギリギリまで多くの客席は埋まらないし、試合中にスタグルを買うために席を立つ様子も頻繁に目撃した。彼らは無理をしない。自然体で観戦していた。
チャントこそ歌わないが、ここぞの場面ではバルサコールが自然発生し、不可解な判定や相手ファールには全力でブーイングを行う。隣席だった男性のバルサファンは終始試合展開に苛立ち、後半途中でスタジアムを後にした。彼らの行動は実に日常的。バルサは特別な存在ではなく、生活の一部。文化として根付くのはこういう状態のことを差すのかもしれない。
カンプ・ノウに通う人達は「スタジアムはこうあるべき」という考えは持っていないように見えた。だからこそ、“非日常”を求めて異国から訪れる私のような観光客をウエルカムな空気感で受け入れられる。グローバルクラブになるというのは、多様性を認めることなのかもしれない。日常と非日常(観光客)が混ざり合う独特の雰囲気がそこにはあった。
愛するクラブとの良い関係を長く継続するためには、一定の距離感が必要だ。冒頭のゴール裏原理主義的な思想を否定はしない。ただ、生き急いではいけない。過去、そのようなクラブとの関わり方をした結果、スタジアムを去ったサポーターの存在を何人も知っている。
私は長くJリーグを愛したいし、楽しみたい。日本よりも圧倒的に長い歴史を持つバルセロナの人々の観戦スタイルを目の当たりにして、帰国後のJリーグ観戦は今以上に肩の力を抜いてみようと思った。
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