“応援”とは何か。
最近はその形が多様化しているので、「クラウドファンディングに参加すること」、「スポンサー企業の商品を購入すること」と、回答する方もいるだろう。
ただ、私にとっての応援は「スタジアムで声援を送る行為」のこと。応援(声援)を通じ、同じ感情を多くの方と共有できるスタジアムは特別な場所であり、そこで得られる高揚感に魅了されたからこそ、多くの時間とお金をサッカーに投資する生活を何年も続けている。
しかし、それはコロナ禍では叶わない。
愚痴を書きたい訳ではない。誰も悪くないし、スタジアムでの応援に代わる方法を皆が模索している。「バーチャルスタジアム」「VR」……etc.こういう状況だからこそ推進される技術もある。人との接触がリスクである以上、今後はオンライン応援を前提に様々なことが計画、実行されることが予想される。
そんな応援のニューノーマルが検討される今、自身の経験をベースに「オンライン応援」と「オフライン応援」の長所短所を考えてみる。
SNSの闇
「オンライン応援」を考える上で、最初に頭に浮かんだのがTwitterである。このコミュニケーションツールは、多くの人と同じ時間(感情)を共有するという点でスタジアムの環境に近く、サッカーとの相性がすこぶる良い。
チャント、手拍子……ゴール裏を中心に大人数が同じ行動を行うスタジアムとは違い、皆がそれぞれの意見をTL(タイムライン)に流すTwitterは、多様性の面でスタジアムにはない魅力も持っている。
ただ、その特徴は時に意見の相違による争いも生んだ。言い争い自体は必ずしもネガティブなものではないが、オンラインコミュニケーションは余白(余談)が少なく、単純化する傾向がある。会話の行間が読みにくく、落としどころがない形でコミュニケーションが終了する事例を多々見てきた。そんな殺伐としたTLに嫌気がさし、オンラインを離れた人も一定数存在する。
意見が事実よりも強くなる……は言い過ぎかもしれないが、フォロワーの多い人の意見が主流派になりやすい点も危険に感じる。数の力によってフェアな目線を失ってしまうリスク。無論、私自身オンラインの住人として、そうした世界の外部に立っての意見は持てず、無意識にインフルエンサーの影響を受けた思考・思想を持っている可能性は高い。
スタジアムが持つ匿名性
「オンライン応援」と比較した際、「オフライン応援」の長所は案外“匿名性の高さ”にあるのではないか。ゴールの瞬間、隣にいただけのおじさんと抱き合える場所は、スタジアム以外に思いつかない。応援感情だけで人と繋がれる経験はサッカー観戦(応援)の醍醐味だと思っているが、隣のおじさんが取引先の社長だと知ってしまったら自制心が働く。社会的な地位や立場が無視されるスタジアムの非日常性は、大きな魅力だ。
オンライン(SNS)がオフラインと強くリンクするようになったことで、インターネットは匿名性によって担保されていた人との距離感が失われつつある。好意は敵意と表裏一体。オフラインで出会い、SNSで関係性を深める(逆もある)という近年のトレンド自体は否定しないが、相手のことを深く知ったが上に生まれる負の感情(嫉妬など)も存在する。
相手の本名も仕事も知らず、“好きなものが同じ”という点だけで繋がり、月に数回スタジアムで挨拶を交わすだけの関係は、今の時代において実は贅沢なことかもしれない。相手のことを知りすぎないことも大切だ。適度な距離感だからこそ続く関係性もあるということ。
スタジアムを教会と重ね合わせる話は時々見聞きするが、この場所の非日常性は寛容な心を育てる効果もある気がしている。スタジアムでよく見かける、試合前「おーい!!●●(選手名)、×××(自主規制)やー!」と叫ぶ上半身裸の酔っ払ったおじさん。街中で見かけたら目を合わせないし、オンラインであっても無視だ。
ただ、そんなおじさんに対しても、同じチームを90分間一緒に応援すると、職場の同僚や学校のクラスメイト以上の仲間意識を覚える時がある。「まったく仕方ないなあ(苦笑)」……なんて。そんな風に思えるスタジアムの自分は嫌いではない。
応援のニューノーマルを考える目的でこの記事を書き始めたが、「やっぱりオフライン応援はいいなぁ」という保守的な結論になってしまった。今週末は数カ月ぶりにパナソニックスタジアムへ行く予定。久しぶりのオフライン応援を満喫しようと思っている。ソーシャルディスタンスを確保するので、隣のおじさんと抱き合うことはしないけれど。
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